​施主:堀田尚亨

​施工:々(noma)

​大工:野崎将太,樋口侑美,上村一暁,山本ジョージ,大木脩,たじまこうき

左官:八田人造石

電気:武藤頼次郎

金物:tuareg

什器:2M26,sklo

​写真:岡田和幸

ゼロマチクリニック天神

要約:

福岡の天神駅に接続する商業施設の一画に、延床約30㎡の狭小な内科クリニックを計画した。アプリとの連携によるミニマムな医療体験・医療空間の実現を目指すと同時に、受付カウンターの省略や、植栽を緩衝帯とした開放感のあるファサードの計画、ロゴカラーを意識した素材感のある仕様選定等により、小さいながらも安らげる心地よい空間を目指した。

​共同:S設計室,橋本圭央

​施工:ハイカラ

写真:岡田和幸

西新井のいえ

​デ/リタッチ:不協和音の庭

要約:

空き家だった父方の実家2階を、両親の終の住処として改修する計画。

元の住処において、ふたりの緩衝帯であり互いの領域が緩やかにつながる時間─空間であった庭を再構成している。

 

詳細:

両親の老後に備えて、父方の実家の2階をふたりの終の住処として改修し、長年家族で暮らした庭付きの一軒家から引っ越すことになった。

父方の実家は、2階建ての鉄骨造の建物で、昔は1階が祖父母の靴工場、2階部分が住居だった。現在1階では、親族が歯科医院を営んでいる。

この1階の歯科医院を残したまま、祖父母が亡くなってから数年空き家状態だった2階の住居部分約60㎡と、1階の玄関部分を両親がふたりで暮らす家に改修するというプロジェクトだ。

ふたりからこの改修の話を聞いた時、私はとても驚いた。私は長いこと、ふたりが自然と会話しているところをほとんど見たことがなかった。ふたりは、私が一緒に暮らしていた頃もお互いが必要以上に関わらないようにしている様子だったから、父方の実家を改修してまで老後も一緒に暮らすという決断が意外だった。

そうまでしてふたりが一緒に暮らすのはなぜなのか不思議だった。家族だからこそ見過ごしていた側面があるのかもしれないと思った。

両親は私とはそもそも世代が違うから、夫婦はなんだかんだ一緒に暮らすもの、みたいな考えだった可能性もあったが、改修の設計をするにあたって、今一度、娘の視点に加えて設計者の視点で、二人の暮らしや関係性を観察してみたいと思い、設計~工事の数カ月間、私は久しぶりにふたりと一緒に暮らしてみることにした。

ふたりと暮らす中での最も大きな気づきは、「庭」がふたりをゆるやかにつなぐ緩衝帯のような存在であるということだ。

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母は庭の草木の手入れが日々の生きがいで、父も緑に囲まれてたばこをふかしたりストレッチをすることが習慣だった。

母が買い物に出かけている間に、父は庭でタバコをふかしながら植物に水やりをした。帰ってきた母は、水で濡れた地面や草花を見て、父が水やりをしたことを察し、娘の私に、父は水をあげすぎるんだと愚痴をこぼした。

父は気が向くと母の鉢植えに種をまいた。母は見覚えのない、いつのまにか生えてきたコスモスも大事に手入れして育てた。

庭に面した部屋でタバコを吸う父と、庭で庭いじりをする母は、網戸越しに少しだけ会話した。その声は部屋の中で稀に聞こえる話し声より幾分か穏やかだった。

父が大音量で流すビートルズの音楽も、たばこの煙も、どちらも母は嫌っていたが、庭を介せばさほど気にしていない様子だった。

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このように、共に庭で過ごすことはないものの、ふたりは庭を介してお互いの気配を察 し、関わり合っていた。

そこで、当初からのふたりの要望である、十分に離れた個室を設けることと、日常的な互いの動線が極力重なり合わないこと、を叶えながら、元の住処に在った「庭」を二階部分に再構成することが、この計画の主題となった。

 

そして、一見素通り してしまいそうなふたりの日常を生のままとらえ、 住宅計画へと定着させる手法として、異なる時間─空間とそこでの人の関わりを横断して記述することができる時間地理学を援用した。

実際の設計では、それぞれに必要十分の個室を確保することでデタッチ(分離・維持)された個々の領域を形成しながら、南側にあった奥行きの浅いバルコニーを内部深くまでジグザグ状に拡張することで、夫婦の動線や視線の関係性をリタッチ(加筆・修正)し、お互いの領域が緩やかに繋がる時間─空間としての庭を再構成している。

 

長年連れ添った夫婦の日常には、蓄積された不協和音も潜んでいる。その「不協和音」を取り除くのではなく、また無関係なものとして捨象するのでもなく、そこにあるものとして受け入れる「終の住処」を目指した。

a/normally

概要:
施主が長年暮らしたマンション一室の改修計画。日常が僅かに変調する時、それに寄り添うように空間を分節したり接続したりする間仕切りと、それを境に隣り合う各部屋の改修計画。

詳細:
セカンドライフ世代の施主が暮らすマンション一室を部分的に改修する計画である。施主の主な要望は、老後に備えてロフトへの行き来がしやすくなるように既存の折りたたみ式階段から昇り降りしやすい階段に変更することと、老朽化した設備を更新すること、の2つだった。

 

マンションの一室であることから、躯体に手を加えることはできないため、階段の新設箇所は上部が吹き抜けているリビングダイニングに限られた。
 

改修範囲は、上記のリビングダイニングに加え、ロフト、水回りの設備に関わる部屋に絞り、長年積み重ねた施主の暮らしが改修後も途切れずに続くような計画を目指した。
 

改修前の施主宅で打合せをする度に印象に残ったのは、可愛らしい雑貨の数々、レコードやカセットなど、愛着のありそうな多くの物で囲まれた暮らしである。それらが雑多に置かれた空間にとても魅力を感じたが、さほど広くない部屋の床面積をさらに狭めているのも事実だった。
 

そこに昇り降りしやすい勾配の階段を新設するとなれば、より一層スペース的な制約が大きくなる。普段一人で暮らす施主の生活ルーティンはロフト以外で成り立っており、ロフトは、パートナーの滞在時や来客時、季節の変わり目に衣服等を出し入れする時等に使うため、日常的に頻繁な昇り降りはないという。

なんとか、既存の雑多な物に囲まれた雰囲気を継承しつつ、なるべく空間を狭めない提案ができないだろうかと考えた。
 

階段の設け方を悩むのと同時に、多くの雑貨の納め方を考えていた時、階段もそれらの物と同じように扱えないだろうかと思った。聴きたい時に取り出すレコードのように、ロフトへ上がりたい時だけ取り出す階段と、これらの雑貨や階段が一緒に仕舞われる棚をつくれないだろうか。

それらが仕舞われている様子が改修前の雰囲気を想起するような部屋の風景の一部となれば良いなあと思った。

 

改修前の様子で、もう一つ印象に残ったのは、施主が、玄関、水回り、リビングダイニングの各部屋を仕切る建具を開け放し、くるくると回遊できる生活動線で暮らしていることだった。
普段これらの部屋はひと連なりで使われ、来客時に各部屋を遮れる建具があればよい様子だった。

 

ということは、階段に加えて、建具も、その他の雑貨と同じように必要な時に取り出せれば良い。
 

そこで、普段の生活においては仕舞われ、ロフトへの行き来や来客時などに、取り出せる階段や建具、そしてそれらと雑貨を一緒に仕舞うことができる棚を計画した。
 

新設したそれは、ルーティン化された日常が僅かに変調する時、それに寄り添うように空間を分節したり繋いだりする、動かない建築と動かせる家具の間くらいの緩やかな間仕切りであると同時に、施主がこの部屋で暮らしてきた長い時間を部屋の風景に留めている。

 


 

雑記:
セカンドライフ世代となれば、歳を重ねている分、その人独自の暮らし方にはっきりとした輪郭がある。

長年暮らした部屋の改修は、長年着ていた愛着のある衣服を、今一度自分の体型にフィットするように必要な部分を分解して少しパターンを引き直すような、それにとても近いんじゃないかと思った。

その服を長年着ていたことでできた身体のライン、服とは関係なくその人自身の暮らし方によってできた身体のライン、また、その人の動きに合わせて定着した衣服の皺。これらを施主の暮らしと改修する部屋に置き換え、丁寧に辿りながら、手の加え方を試行錯誤した。

 

引き渡し後、竣工写真を撮りに伺ったクリスマスの時期には、季節を意識してそれとなく飾られている赤や緑の小物と、改修前から変わらずある、過去に訪れた美術館のチケットをストックしているコルクボードや可愛らしい時計のオブジェが、新しくできた棚に並んでいた。ロフトの窓越しに見える天使の羽も、よく見覚えのあるものだった。アールがかった低いロフト天井の表情が際立つように照明が吊り下げられたり置いてあったりした。

それらを見て嬉しいのは、改修後の部屋と施主との間に、私が設計段階で意図できるはずのなかった物語がいくつも生まれていると感じられるからだと思う。
自分との間に物語を紡げる対象に対して人は愛着を持つということを改めて感じた。

当事者ではない設計者は全ての物語を描き切ることはできないし
、設計者に描かれた物語はフィクションでしかない。設計者にできるのは観察すること、そしてそれを記録すること、それらを土台として、使い手が主体的に物語を紡ぐことができる対象をつくることだと思う。